「沢渡の論文を破いてしまえ!」
そう叫んだのは三回生の先輩である。なんと恐ろしいことを言う人かと危険を感じ、とっさに論文をアリスへ投げ渡した。アリスは論文を受けとるや、背後に隠し後ずさりをした。
後輩は泣き喚き、同期と先輩達はわあわあと僕を担ぎ始める。胴上げが始まるのではないかという雰囲気が漂い始めているが、祝賀の念ではなくただの八つ当たりからなる恨みが僕を担いでいるので大学合格以来の胴上げが無いのは知っている。
神輿のようにしばらく為すすべもなく上下させられていると入口のほうから怒声が響いた。
「こら、何をしているのか!」
おハゲ教授の御一喝である。自分神輿から解放された僕は、静まり返ってしまった担ぎ手たちの代わりに経緯を説明する羽目になってしまった。研究課題の論文が完成してうっかり喜んで出来たと言ったら担がれたというのはなんと間抜けな理由だろう。
「沢渡くん、まだ研究出来てなかったの」
「はぁ、今日やっと完成しました」
「なんだてっきり八月中に完成しちゃってるもんだと思ったのにねぇ。いや完成したならいいのだよ」
皆も見習いたまえよと教室に怒声を浴びせる教授である。恐ろしさと焦りからみんな余計に泣いた。論文の安否を確かめるためにアリスのほうを見てみると、僕の論文を開いていた。読んでいるのかは解らないが、アリスの周囲だけとても安寧な聖域に守られているように静かだった。
やっとの思いで研究室を出た時には夜の帳がおりて既に星が瞬いていた。
前期に書き上げたソンブレロ銀河のレポートを超えるものが出来たと勝手に思っているアリスの手元にある論文には、回りくどくもただ分厚いガスが発生した場合の仮説のことが記されている。
幸津先輩がスピカを赤く観測したという起草から、似た星が集まるケフェウスを観測し続けてきた。ケフェウスの手前に想像だにしない分厚いガスを発生させた場合、または本当は分厚いガスが覆っていてそれらが一斉に取り除かれた場合、各星々は、ガーネット・スターはどう見えるか。そして、スピカで同じことが起きたらどう見えるか。